========= ツーリングデータ ================
日時:
1997年4月28日(月)〜5月1日(木)
アプローチ:
JR山陽新幹線、山口線で輪行
コース:
第1日目
am 8:00 新大阪駅発「ひかり63号」〜am10:20 小郡駅着
am10:30 小郡駅発「SLやまぐち号」〜pm12:30 津和野駅着
pm 1:00 津和野市街散策開始
〜殿町(養老館・津和野民俗資料館)〜津和野側沿い遊歩道
〜祭資料館〜森鴎外旧居・記念館〜鷲原八幡宮・鷲原公園
〜西周旧居〜高砂酒造資料館〜喜楽園〜太鼓谷稲荷神社
〜津和野町立郷土館〜弥栄神社
pm 6:00 国民宿舎「青野山荘」着
走行距離 17km
第2日目
am 8:00 国民宿舎「青野山荘」出発
〜大鳥居〜国道9号〜徳佐〜古市〜生雲川沿い〜湯ノ瀬
〜長門峡〜阿武川ダム
pm12:00 萩市着・散策開始
〜東萩駅〜萩反射炉〜明神池〜笠山〜風穴
〜(萩市街へ折り返し)
〜松陰神社(松下村塾・吉田松陰幽囚旧宅)〜伊藤博文旧宅
〜旧湯川家屋敷〜桂太郎旧宅〜藍場川沿い
〜萩城下町(高杉晋作生誕地・木戸孝允旧宅)
〜問田益田氏旧宅土塀〜旧福原家萩屋敷門
pm 5:00 国民宿舎「城苑」着
走行距離 60km
第3日目
am 8:00 国民宿舎「城苑」出発・萩市街散策
〜旧厚狭毛利家萩屋敷長屋〜指月公園(萩城跡・志都岐山神社)
〜萩史料館〜口羽家住宅〜鍵曲〜旧児玉家長屋門〜平安橋
〜久坂玄瑞旧居跡〜鍵曲〜春日神社〜田中義一銅像
〜旧毛利別邸表門〜旧周布家長屋門〜益田家老長屋〜常念寺
〜藍場川沿い〜玉江橋
am10:30 萩市出発
〜国道191号〜国道490号〜学ヶ峠〜小野峠〜山中峠
pm12:45 秋吉台サファリランド着
〜昼食・サファリランド見学
pm 4:00 秋吉台サファリランド出発
pm 4:15 大正洞着
〜大正洞見学
pm 5:00 大正洞出発
〜秋吉台道路
pm 6:30 国民宿舎「秋吉台」着
走行距離 60km
第4日目
am 8:30 国民宿舎「秋吉台」出発
am 8:45 秋吉洞着
〜秋吉洞・秋吉台カルスト台地見学
pm12:00 秋吉洞出発
〜秋吉台山口自転車道
pm 2:30 山口着・散策開始
〜パークロード〜亀山公園〜県立山口博物館〜藩庁門
〜香山公園(瑠璃光寺五重塔・露山堂・枕流亭)
pm 5:00 湯田温泉・湯田簡易保険保養センター着
〜温泉入浴
pm 6:00 湯田温泉駅着
pm 6:28 湯田温泉駅発 山口線各停列車〜pm 6:44 小郡駅着
pm 7:26 小郡駅発「ひかり64号」
pm 9:56 新大阪駅着
走行距離 50km
メンバー:
筆者、須田君、大坪君
使用車種:
マウンテンバイク
スタンド、泥除け、前照灯、尾灯装着
荷物:
ディパックにて携帯
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- ★★★ 第1日目 雨は降る降る、あいつは来ない ★★★
- ■恒例のごとく
- 雨であった。しかも朝から。
- いつもなら天王寺駅まで自走するのであるが、ちょっと考え込んでしまった。天王寺駅までの2キロの間にかなり濡れるであろう。そうすると結構な混雑が予想される環状線には乗りにくい。これはとうとう地下鉄輪行の時が来たか。
- 私は今まで地下鉄で輪行したことがない。慢性的に客が多いためと、手回り品切符がいらないので、つい卑屈になってしまいそうだからだ。しかしそうも言っていられない。ちょっと小降りになった時に、最寄りの天下茶屋駅まで走っていく。歩いても2分ほどの距離だ。自転車ならあっと言う間である。
- 地下鉄の天下茶屋駅は改札が地上にある。改札の前で輪行袋に詰めると、切符を買って自動改札をすり抜けた。ちょうど発車しそうだった堺筋線に乗り込み、動物園前駅で御堂筋線に乗り換える。朝が早いためか、思ったより空いていたのが幸いだった。
- 新大阪駅で降りると新幹線の改札へあがる。切符は座先指定と共にあらかじめ買ってあった。しかし手回り品切符を買わないといけない。いつもは天王寺駅で買っているので、新大阪では勝手が分からない。とりあえず改札の横の窓口へと行った。しかしそこではおいてなくて精算窓口で買ってくれと言われてしまった。
- 先に改札に入り、横の精算窓口へと回る。しかし、そこの窓口は開いていなかった。輪行袋を下げたままトボトボと歩き、別の精算窓口へとたどり着いた。しかしなんと、そこもおいていなかった! 結局、在来線連絡改札の窓口までやってきた。しかしあろうことかそこも閉まっていた! もうやけくそになって新幹線の中で車掌から買うことにして、ホームへ上がった。
- ■いつものように
- ホームには待ち合わせのはずの須田くんも大坪君もいなかった。まだ時間が早いので慌てる必要はないが、大坪君は遅刻常習者である。何が困るかというと、彼は遅刻すると言うことになんら罪悪感をもってなさそうなことである。いや、本人は胸の内で悪いと思っているのかも知れないが、はたから見るとそうは見えないのである。なぜそう見えないかは、遅れて現れたあとの彼の行動に起因するのだが、それはおいおい分かると思う。
- さて、ちょっと不安になった私は大坪君の家に電話をかけた。2回のコールのあと、留守番電話になった。どうやらもう家は出ているらしい。ちょっと安心した。本当は家からモーニングコールを掛けようかと思ったのだが、雨のせいでバタバタして掛ける暇がなかったのだ。そして地下鉄で来たので携帯電話を使うことも出来なかった。
- おやつや飲み物を買ったりしていると須田くんが現れた。去年のゴールデンウィークの倉敷・尾道ツーリングでは遅刻すれすれであったが、それ以後は余裕を持って登場している。
- 残るは問題児だけだな、と思っていると携帯電話が鳴った。慌てて取ると、やはり大坪君であった。丁度ホームに列車が入ってきたところで音がうるさくて聞き取れない。よくよく聞くとなにやら謝っているようである。
- 今、大阪駅あたりかな、と思いながら、「どうした?」と聞くと「今、起きたところです」との答え。「……、え?」予想外の言葉に私は呆然となった。そう、彼は留守番電話をセットして寝ていたのである!!
- どうやらさっきの私の電話のベルで目が覚めたらしいが、起きられずに再び布団に潜り、やっと今、電話を掛けたと言うことらしい。彼にはモーニングコールも無意味だと言うことが、これで分かってしまった。留守番電話にモーニングコールを録音しても仕方がないだろう。
- 先に行って下さい、ということなので迷わず先に行くことにする。いや、彼が待っててください、と言っても先に行っていただろう。「じゃ、小郡についたら電話するように」とだけ言って電話を切り、私と須田君は「ひかり」に乗り込んだ。せっかく「ひかり」も「やまぐち号」も座席指定を取っていたのに…。
- ■SLやまぐち号
- 小郡駅での乗り換え時間は10分しかなかった。
- しかも新幹線ホームから在来線のホームは遠いのだ。連絡橋をえんえんと歩かないといけない。輪行袋を持っているのだから大変である。
- やっとこさ「やまぐち号」のホームへやってきた。しかし私は何を勘違いしたのか自分たちの車両を間違え、一度先頭近くまで行ったあとそのことに気づき、再び最後尾車両まで戻らねばならなかった。
客車に乗り込むと、とりあえずデッキに輪行袋を置き、自分の座席にディパックを置く。再びデッキにとって返し、輪行袋の本当の置き場所を考えた。
- デッキは狭かった。どう置いても通行を邪魔してしまう。大井川鉄道のSLの時は乗務員室そばの空きスペースに置かせてもらえたので、今回もそれがないかと前に輪行袋を置きに行った須田君の様子を見に行った。そうこうしている間に列車は発車してしまった。
- 案の定、須田くんは輪行袋を車掌室の前の空きスペースに置かせてもらっていた。私もとって返し、ここへと運ぶ。
忙しい乗り換えと輪行袋の置き場所確保のドタバタで、二人とも大汗をかいている。ボックス席に座ったものの暑い。私たちの車両は最後尾でデッキ付きである。デッキに出れば涼しいのではないかと後ろへ向かった。
- しかしデッキへの扉は鍵がかかっており、外へは出ることが出来なかった。デッキの手前が元々サロンだったのか座席のない小部屋になっている。そこには毛利氏、特に毛利元就の資料がべたべたと貼ってあった。やはり時代は毛利元就らしい。
- さて、このやまぐち号が津和野に着くのは昼過ぎである。車内で弁当でも食べておくのが時間的にありがたい。しかし小郡駅では弁当を買っている時間などなかった。車内販売をあてにしていたのだが、どうやら私たちがバタバタしている間に売り切れてしまったらしい。
- やがて列車は山口市街へと入っていった。大きな町である。こんなところをSLが走ってすすけたりしないのだろうか。
- 山口駅で駅弁を売りに来るのではないかと須田君は期待していたが、やはり駅弁売りは来なかった。彼はあまり列車で旅行しないので知らないのかもしれないが、私はここ10年ほどホームを歩く駅弁売りなど見たことがない。とにかく仕方がないので津和野に着いてから食べることに腹を決めた。グー。
- 窓から外を見ていると、あちこちでカメラを構えている人がいる。もちろん私たちを撮っているのではなくSLを撮っているのである。大井川鉄道と比べて田畑の中の見通しのよい所が多いので、撮影はしやすいようだ。
だんだんと列車は郊外へと出ていく。列車の中で写真を撮ったり、ダベったりしていると、列車が止まった。どうやら写真タイムらしい。わざわざ写真撮影のために駅の一つで列車を停めてくれるのだ。
まだ細かい雨が降っているが、私たちも降りると写真を取り始めた。乗ったときは急いでいて機関車は見ている時間がなかったので、初めて自分たちが乗っている列車の機関車を見ることが出来た。
- 再び列車は動き出した。長めのトンネルを抜けると右前方に津和野の町が見えてきた。
- ■津和野到着
- 時刻表通り列車は津和野駅に着いた。他の客が降りるのを待ってから輪行袋を引っぱり出し、列車を降りる。
やはり機関車の前では大勢の人が眺めたり写真を撮ったりしていた。私たちも混じって写真を撮る。OL風の若い女性が前に立って写真を撮っているとき、発車の放送がかかった。大きな汽笛の音と共にやまぐち号は発車した。私も慌ててシャッターを切った。
- 列車がホームを出ていくのを見送ると、私たちも輪行袋を抱えて陸橋を渡る。
- 改札を抜けると自転車を組み立てる場所を探した。まだ雨が降っており、地面が濡れている。駅舎の軒下で組み立てることにした。
- 自転車を組み立てている間にも、雨は小降りになったり強く降ったりを繰り返した。天気予報では昼から晴れるということだったが、1時近くになった今でもまだ雨は上がらない。山あいの小京都は曇天の中に薄暗く沈んでいた。
- 組立終えると小雨の中を出発することにした。スピードを出すと後ろからハネを浴びるのでトロトロのスピードである。とりあえず行き先は昔の建物が残っているという殿町通りだ。そして昼食を食べる場所も探さないといけない。
- 殿町にはすぐに着いた。道の両側の堀割にはようようと水が流れ、いつもならいい雰囲気なのであろうが、運悪く雨のために水はすっかり濁っていた。鯉が濁り水の中を泳いでいる。しょうぶが咲くにもまだ時期が早い。
- さすがにここは観光客が大勢いる。バスガイドに連れられた観光客がぞろぞろと歩いている。私たちは養老館に入ることにした。自転車は門内にお止め下さい、とのことなので、それに従い止める。
- 養老館はかつての藩校である。その藩校の剣術道場が民俗資料館になっている。入場料を払って入ってみた。津和野にまつわる民具や武具が主な展示物であった。
- ■誰がためにベルは鳴る
- 養老館を出ると津和野大橋を渡り、津和野側沿いの遊歩道にそって走り出した。川の両岸とも遊歩道らしいがとりあえず左岸を行く。この遊歩道は誰も歩いておらず静かだった。雨もやっと止んだ。
- 森鴎外旧宅の矢印に従って左へ曲がると、すぐにそれがあった。前を様子を見ながら通り過ぎる。先に食事にしたかったからだ。次の通りの角に土産物屋兼食堂があった。そこで食事することに決め、前にあった駐輪場に止めた。
- 私は天とじうどん定食、須田君は南蛮とじうどん定食をたのんだ。運ばれてくるのを待っている間、ガラス越しに通りを眺める。この辺りはそんなに離れている訳ではないのに観光客は少なかった。たまにレンタサイクルに乗った人が通る。
- 食事を終えるとちょっとだけ土産物を眺めたあと、その建物の2階にある祭資料館に入った。鷺舞の衣装を着た人形をはじめとして、津和野の祭りに関しての資料が展示してあった。
そこを出ると森鴎外旧居に向かう。門の向かいに立っていたおじさんから券を買って入った。100円と引き替えにカードになった入場券をくれた。
- 森鴎外は子供の頃ここに住み、そして育ったという。質素な平屋である。さすがに中は観光客もいて、記念写真を撮る人が多かった。
- 裏の門から出ると、最近出来たという森鴎外記念館である。私はせっかくだから入りたかったのだが、文学には興味のない須田君は500円という入場料に渋った表情だ。しかしなんとか説得できた。旧居の入場券を買っていれば100円引きあったことが利いたのかも知れない。
- 森鴎外は医者でもあり文学者でもある。この出来て間もないおしゃれな建物の中には、彼の生涯をたどることが出来る展示が豊富にある。昔の文学誌や自筆の原稿、そして年表や系図などで見やすく展示されていた。星新一もどうやら親戚にあたるらしい。一人で見学している女性もいた。
- 小部屋でビデオを見ていると、携帯電話がなった。大坪君からであった。やっと小郡に着いたらしい。しかし時間はもう午後3時だ。彼はのんびり昼になってから出かけてきたのに違いない。こちらに着くのは5時になるろう。津和野についたらもう一度電話をするように言うと電話を切った。
- ■西周って誰?
- 森鴎外記念館を出ると、再び自転車を引っぱり出した。さっき記念館に一人でいた女性も自転車で回っているらしく、もたもたしている私たちを尻目にさっさと自転車に乗ると行ってしまった。どうやら津和野には詳しい人らしい。
- 私たちは再び津和野側沿いに戻り、細い橋を渡った。ちょうど向こうから団体の観光客が渡ってきたところで、すれ違いに苦労する。
- いけるところまで川沿いの遊歩道を行った。一応目的地は津和野市街の一番端にある鷲原八幡宮である。流鏑馬馬場があるのだが、誰も人はおらずひっそりとしていた。自転車でガタガタと走ったあと、再び市街地へ戻ることにした。
- 行きは気づかなかったのだが、川沿いに「間欠泉」と書いた看板があった。何十分かおきに水だかお湯だかが吹き出すらしい。しかし今は静かだった。観光ガイドを調べたが載っていなかった。時間が惜しかったので、ここでわざわざ待って見るほどのものか判断できなかったので、先に進むことにする。のちに入った情報によれば結構立派に吹き上げるらしい。
- 次は西周の旧居である。「さいしゅう」というお坊さんではない。「にしあまね」である。哲学者だ。そういえばそんな人がいたな、と遙か昔の高校の日本史の授業を思い出した。
- なんてことはない、その西周の旧居はさっきの森鴎外の旧居から川を挟んですぐのところにあった。さっき橋ですれ違った団体はこちらを見てから鴎外旧居の方へ回ってきたのだろう。
- しかし森鴎外旧居に比べて西周旧居の保存は悪かった。入場料をとって、もう少し保存に力を入れた方がいいと思うのだが…。
- 時間がひっぱくしてきたので次へ進む。次は高砂酒造資料館である。長い歴史をもつ酒造元に併設された資料館だ。さっきの細い橋を渡り、森鴎外旧居の前を通り抜けると坂を登っていく。やがて左手に一見して造り酒屋と分かる立派な建物が見えてきた。駐車場の片隅に駐輪させてもらい、のれんをくぐる。
- どうやら見学者にはそこのお酒を飲ませてくれるらしい。すぐにお持ちしますのでご見学下さい、とのことなので、入って見学した。
私はまずその建物の立派さに見入ってしまった。もとは酒蔵だったのかどうか私には判断できなかったが、天井の高い梁の立派な建物であった。そのなかに酒造のための壺や樽やその他の道具が展示されているのである。
- 一通り見学して出てくると、お猪口が2つ用意されていた。一つは清酒で一つは濁り酒であった。濁り酒の方は私にはきつすぎた。須田君に任せ、清酒の方を少しいただいた。酒の味はよく分からないが、普通の酒とは違うことだけは分かった。須田君はいたく気に入り、今晩の宿用にと一本買い求めた。しかし一番喜ぶのは遅刻してまだ現れない大坪君であろう。彼は大変な飲兵衛でもあるのだ。
- お礼を述べるとのれんをくぐって外へ出た。
- ■遅刻男は2度ベルを鳴らす
- またもや森鴎外旧居の前を横切り、例の橋を渡る。次は嘉楽園だ。その名前からくるイメージと、庭園跡だと言うことで期待していたのだが、行ってみると草の生えたただの空き地となっていた。脇には一応物見櫓があり、そばをぐるっと回って眺めてみた。
須田君が稲荷神社へ行くというので、そちらへ向かう。結構きつい坂を登ると観光リフトの乗り場にでた。やり過ごしさらに坂を登る。やっとこさ太鼓谷稲荷神社の駐車場に着いた。駐車場は見晴らしのよいところにあり、そこからは津和野の町が一望のもとに見渡せた。

正面に標高900mを越える青野山が堂々とそびえ、眼下には茶色い屋根を連ねた家々がならぶ。やっと雲が切れて太陽の光が射してきた。陽の光を受けた津和野の町は、さっきまでの沈んだ雰囲気を一気に吹き飛ばし、どこか牧歌的な明るさを感じさせてきた。
- 自転車を駐車場の脇に止めると、おいなりさんをお参りする。本当は稲荷神社というからには、下から鳥居のトンネルを登ってくるのが正道である。私たちの登ってきた道は車用の道であった。
- 時間は4時半近い。あと一つ、郷土館を回るつもりであった。急いで坂を下ると郷土館へ向かう。それは川を挟んで養老館の向かいにあった。閉館ぎりぎりに滑り込みで見学することが出来た。この郷土館は藩政時代の資料はもちろん、縄文時代の資料も集めて展示されていた。私たちが見学し終わるまで閉館を待っているようなので、急いで見て回ると外へ出た。
自転車にまたがると津和野大橋を渡り、今度は養老館の裏の川沿いを走ってみた。行き止まりで曲がり、ふたたび殿町へ戻る。天気がよくなった上、人もまばらになったので、さっきよりよい雰囲気になっている。堀割のそばで写真を撮ってみた。
- そろそろ大坪君が到着する頃だが、まだ電話がないので、もうちょっとブラブラしようかと走り始めたとき、携帯電話がなった。慌てて取り出すが、ベルはたったの2度で切れてしまった。またかかってくるかとしばらく待ってみたが、うんともすんとも言わない。あきらめて走り出した。
- 弥栄神社のそばを走り、津和野側沿いにあったベンチで一服することにした。地元の高校生がクラブ活動のトレーニングの途中なのだろう、ランニングしながら私たちに挨拶すろと、稲荷神社の鳥居のトンネルを登っていった。
- しばらくそこにいたが、大坪君から何の連絡もないので、津和野駅に行ってみることにした。古い町の雰囲気を味合うためにわざと裏通りを通って駅へ向かう。
- 駅にはやはり大坪君はいなかった。まだ着いてないのだろうか。私は駅に入り、時刻表を調べてみた。5時頃には特急が1本あるだけで、各停は6時頃までなかった。その一本前の列車には小郡に3時では間に合わないはずだ。彼が特急料金を払って特急に乗るとは考えがたいので、6時の各停で来るのだろうと判断した。もう一つ、恐るべき推測も立ったが、あえてそれは考えないことにした。
- 列車の時間が分かったので、先に宿の団らん用のおつまみを仕入れることにした。さっきコンビニを見つけていたので、そこへ向かう。コンビニの前で自転車を止めていると携帯電話がなった。しかしまた呼び出し音が2回で鳴り止んでしまった。
- 手に携帯電話を握りしめたまま待っていると、またかかってきた。何度も切られてはたまらない。今度はすかさず応答する。相手はもちろん大坪君であった。しかし列車が津和野に着くには早い時間である。どうしたのか。
- しかし彼の言葉は、内心、予想していた通りだった。なんとすでに宿に入っているのである。そう。この電話は宿から掛けているのだ。あのやろう、津和野駅から電話しろ、と言ってあったのに…。彼を待ってウロウロしていた私たちはバカを見たわけである。前に松江にツーリングしたときも一人行方不明になり、勝手に宿に入っていたことがあるのだ。しかもお金も持たずに。毎度毎度やってくれる。
- 須田君も当然そのことは予想していたので、やっぱりな、と言い合いながら、コンビニに入った。彼の分のおつまみは無しにしようかな、と他愛ないお仕置きが私の頭の中をよぎった。
- ■国民宿舎「青野山荘」
- 今晩の宿、青野山荘は津和野市街から国道9号に向けて坂を登った途中にある。結構きつく長い坂だ。
- 青野山荘の前まで来ると大坪君のMTBがおいてあるのが見つかった。私たちも一緒にそこに止めて鍵を掛ける。
- 実は私と須田君はもう一つ、おそろしい予想を立てていた。私たちの心配をよそに、彼はのんびり先に風呂に入ってくつろいでいるのではないか、ということだ。
- しかしその予想は的中してしまった。私たちがロビーにはいると、浴衣に着替えてほどよく湯気をあげた大坪君が、ちょうど階段を下りてきたのだ! 私と須田君はあいた口がふさがらなかった。
- フロントで鍵を受け取ると部屋へ入る。大坪君はすっかり先にくつろいでいたようだ。家からここまでのことを聞くと、案の定、朝、私に電話してからもう一度寝床に戻り、昼前に出てきたらしい。小郡まで来ると列車が少なかったので、特急に乗ったという。特急を使ったことだけははずれたが、それ以外の私の悪い予想は全て当たったわけである。
- なぜ電話を2回のコールで切ったのか尋ねたら、後ろで女子高生が待っていたからだそうである。しかしいくらなんでも2回の呼び出し音ではこちらが出られるはずがないことぐらいは分かるはずだが…。彼の思考回路はまったくのなぞである。実は彼は女子高生に弱いのかもしれない。
- とくにかく私と須田君も風呂に入ることにした。風呂の湯は熱かった。我慢して何とか入り、あがると食事だ。
- ビールを飲みながら食事を終えると、部屋へ戻ってやっと一服である。私たちの部屋は3階であり、津和野の町の方を向いていたが、展望はなかった。
- さて、さっき須田君が買ってくれたお酒を飲むことにする。やはり飲兵衛の大坪君にはこたえられないようだ。もちろん、まずい酒でも彼が飲まないことはないのだが。
- ★★★ 第2日目 藩政から維新へ ★★★
- ■朝から空中一回転

恒例のごとく、朝、宿のまえで記念写真を撮った。
- この国民宿舎の前には蒸気機関車のD51が置いてあり、須田君と大坪君は機関車の運転台に登っては写真を撮っていた。
- いつも宿を出るのが8時半すぎになってしまうので、今回は8時に出発する、と事前に申し渡しておいた。時間に余裕をもって行動したかったからだ。おかげで何とか8時にはチェックアウトした。しかし写真を撮ったりしたので、出発したのは結局、随分たってからだった。今日はなるだけ早く萩まで移動し、あとは萩市内を散策するつもりだった。
- 道をいったん下り、津和野から国道9号へ上がる道に合流する。ここから国道まで登り返すのであるが結構きつい。国道との合流点に日本で3番目の大きさだという大鳥居がある。これは津和野の市街からでもよく見えていたが、本当に大きい。ビルのような高さである。
- 国道9号は野坂トンネルまで登りが続く。傾斜としてはきつくはないのだが、朝一番の上に、ここしばらく身体がなまっているので応えた。
- トンネルを抜けると緩く下っていく。だんだんと視界が開け右手には田んぼが広がってきた。
- 左手に土産物屋があり、まえに自動販売機があったので補給のために止まった。ボトルにスポーツドリンクを詰める。土産物屋の前でしぼりたてのリンゴジュースを売っているのを須田君がめざとく見つけた。私も一緒に買ったが、これはおいしかった。
- 出発したときは少なかったのだが、だんだんと車が増えてきた。国道から道をはずしたいな、と思いながら地図を眺める。徳佐の駅前の町をすぎたところで、山口線の線路を渡り向こうの道へ出ることにした。昨日、列車の窓から見えていた道で、車も少なく走りやすそうだった。
- リンゴジュースを飲み干すと走り出す。結構トラックが通るので、歩道に上がったり車道に降りたりを繰り返す。左に鳥居があり、「徳佐八幡宮」と書いてあるのが見えた。「そういえば観光ガイドに載っていたな」と思いながらボーッと考えたのがまずかった。
- ふと気づくと前に歩道と車道の境の縁石があった。慌ててブレーキを掛けたが間に合わず正面からぶつかり、自転車は見事に前転した。幸いほとんど止まりかけだったので、前にどさりと落ちるだけですんだ。
- 膝と右手の指を少し傷つけ血が出ていたが、それだけで大したことはなかった。自転車の方もなんともなかったが、180度回ったハンドルにボトルケージが殴られ、ポッキリと折れていた。私のcannondale SUPER-Vはトップチューブがなくてボトルケージが露出した形状なので、ことがあるとすぐにケージが折れてしまう。折れたのはこれで3つ目である。
- 気を取り直し出発する。予定通り徳佐の先の交差点で右へ曲がる。山口線を立体交差で越えると次の角を左へ曲がった。
- ■リンゴ畑から渓谷へ
- 綺麗な舗装の走りやすい道だった。ただ細かいアップダウンが何度も繰り返すので、思ったより疲れる。川と山口線を挟んで国道9号と平行して走ってるのだが、左の向こうに見える国道には車が結構走っており、それに比べれば快適だ。
- やがて両側にリンゴ畑が見えるようになった。この辺りはリンゴが出来る南限だそうだ。リンゴ狩りの看板も見える。今はまだやっていない。このリンゴ畑はSLの中からも見えた。
- 三谷の駅の手前で右へ曲がる。途中でまたいだ山口線を踏み切りで再び渡り、緩い坂を登っていく。2車線ある広い道だが、交通量は少ない。一応低くて緩い峠越えである。エッサエッサと走っていると、大坪君が徐々に遅れだした。
- やがて下りになり、快調に飛ばしていくと、結構大きな町へ出た。右手に公民館らしき建物が見える。いったん止まり地図で現在位置と分岐を確認する。次の交差点で左に曲がればいいらしい。
- 私が地図を見ている間に、大坪君は向かいの公民館にトイレを借りに行った。ジュースの自動販売機も中にあるらしい。須田君に続き私もそこへトイレを借りにいった。新しい立派な建物で、しかもこれは分所らしい。
- 出発し、さっき確認した交差点で左に曲がる。左が川の広い綺麗な道だ。しかし交通量はまったくない。やがて右に分岐が現れた。直進は細い道だが、右が広い道であたらしい標識に「萩・長門峡」と書いてある。もちろん右だ。
- しかし後ろを見ると大坪君がいなかった。いつの間にかちぎれたらしい。フラットな道でちぎれるとは珍しい。予想以上に長い時間待つとやっと現れた。
- 右に曲がってしばらく行くと、いきなり幅員が狭くなった。さっきまでの広い綺麗な道が嘘のようである。傾斜もきつくなりもくもくと登る。次の分岐を右に曲がると峠はもうすぐだ。
- ピークを越えると一気に急な下りになった。カーブもきつい。対向車がくると避け場がないので慎重に下っていく。すぐに橋を越えて2車線の道に合流した。これを左へ行くと、景勝地、長門峡である。地図には一応右の渓谷も長門峡と書いてある。
萩は右なのでそちらへまがり、川沿いの道を下っていく。やはりみごとな渓谷である。橋を渡り右岸へ出ると川幅が広くなった。阿武川ダムのダム湖の端なのだ。対岸に巨大な岩が見える。ちょっと止まり写真を撮った。
- 再び橋を渡り左岸に出る。ダム湖沿いをトンネルや橋を交えながら走り、阿武川ダムへとたどり着いた。ダムの下を覗き込みながら休憩をとることにした。
- ■綺麗なお兄さんは好きですか?
そのダムはかなりの高さだった。ダムの中腹というか真ん中あたりに監視所らしきものがあるのだが、はたしてどうやってあそこに降りるのだろう。どうやらダムの中を通って降りるようだが、須田君はダムの中が空洞とは信じられないらしい。
- 大坪君は黙ってうろうろと見て回ってたが、その大坪君を見て私はふとあることに気が付いた。彼の足が綺麗なのである。そっと後ろから近づいて見てみると、どうやら脱毛しているらしい。
- 驚いて詰問してみると、この間、一緒に飲んだ帰りにコンビニに寄り、酒の勢いで脱毛クリームを買ったという。そして好奇心半分にやってみたのだそうだ。ちなみに私のチームには、足を脱毛している者も剃っている者もいない。理由は別にないのだが、ロードならともかく、マウンテンバイク専門ならばそんなものだろうと思っていた。
- 大坪君も脱毛はもうしないと言う。今ちょっとのびかかったところでチクチクして気持ち悪いらしい。ただ私としては、足を脱毛するより、ひげを毎日剃って欲しいと思った。足は綺麗なのに、しょぼしょぼとひげがのびているのは変であった。
- ■萩到着
- さて、萩まではもう一息だ。自転車にまたがるとダムから下へと下っていく。
- 家も増えてきて、交通量も徐々に増えてきそうだ。地図で確認し、途中で対岸へ渡った。こちらの方が道は狭いが、静かな道だ。
- 一度道幅が広くなったが再び狭くなった。自転車対自動車でもすれ違い困難なところもある。
- 左は依然川だが、右はやがて住宅地になった。JR山陰線の下をくぐる。後ろを見るとまたもや大坪君がちぎれていた。ちょっとハンガーノック気味らしい。時間も丁度正午で私もおなかが減ってきた。もう萩市街に入るのでどこかで食べるところを探そうと思った。
- しかしいつもながらこの昼食が問題となる。その原因はほかでもない須田君だ。彼の眼鏡にかなうお店はなかなか見つからないのだ。やっと食堂があっても「えーっ、いや」と、女子大生みたいなことを言うのである。小綺麗で安くないといけないので始末に悪い。そのくせ、天一(ラーメン屋)には入ったりするのだから、よく分からない。単なる食わず嫌いであろう。いずれにしても、今回も苦労しそうだ。
- 実は須田君は持参した「マップル情報版」で、東萩駅の近くに地ビールの店があるのを見つけていた。そこへ行きたいのであるが、食べ物はあまりない店のようだ。それに飲んでは走れなくなる。
- とにかく東萩駅へ行くことにした。萩リバーサイドホテルというのがあったので、それを目印に地図で現在地を確認する。なんとすぐそこが駅であった。
- 道路を渡ると駅前に出る。前にあった地図板を眺める。今夜の宿は萩市街の西の端にあるので、西半分は明日にまわし、今日は東半分と市街地から離れたところにある笠山を回ろうと考えていた。須田君は観光案内所へ入ると地図をもらってきた。
- 隣には土産物屋がある。「萩焼」と書いた幟が出ている。大坪君がそれを見て、「甘そうですね」と言った。腹が減っているためか、ふと食べ物と思ったらしい。しかしすぐに焼き物であることを思い出したようだ。
- その大坪君がどこかに消えたと思ったら、土産物屋で夏みかんのお菓子を買ってきた。夏みかんを乾燥させて砂糖をまぶしてあるらしい。どうやらこれで腹の足しにするようだ。私と須田君も少し分けてもらった。
- ■反射炉と明神定食
- さて、昼飯である。この辺りは駅前でにぎやかなのでレストランくらいはありそうだ。しかしやはり須田君は首を縦に振らない。問題の地ビール屋は駅前のビルの中にあるようだが、ここはあきらめることにする。
- ところが地ビールの店の紹介がもう一件載っていたのだ。それは萩市街から海岸沿いを北東に行った笠山までの途中にある。問題なのは、まだ準備中で5月に開店らしい。今日は4月29日。まだやっていないだろう。
- しかしあきらめきれないのか、どうせ笠山へ行くのであるから途中で様子を見よう、ということになった。
- 笠山とは東萩駅から5キロほど北東の海岸にある日本一小さい死火山である。萩とはあまり関係がないが、ちょっと見ておこうと思っていた。それに途中には反射炉もあった。
車通りの多い道を走っていくと、すぐに反射炉についた。これは寛政年間に作られた兵器用の洋式溶鉱炉である。残っているのは耐火煉瓦で作られた炉と煙突であった。しかし私にはなんとなくインカか東南アジアの遺跡に見えた。
- それにしても腹が減った。再び自転車に乗り、笠山をめざす。途中、左手に作りかけのおしゃれな建物があった。どうやらこれが地ビールの店らしい。営業開始は5月末だ。あきらめて笠山へ向かう。
- 笠山のふもとの明神池に着いた。道の右が池で、左に土産物屋があった。前でサザエの壺焼きやらイカの焼いたのやらを売っており、いいにおいが漂ってくる。食事も出来るようだが、とても須田君の気に入りそうな雰囲気ではない。先に進むことにする。
- 道はきつい登りになり、食事が出来る店がありそうな雰囲気でなくなってきた。道の脇には「名物・明神定食」と書いた広告がでている。さっきの池の前の店のことらしい。値段がいくらするかな、と二人に聞いたら、めざとく店の前にかかっていた札を見ていたらしく、1500円だと須田君が言った。
- これ以上、先に行っても食べられそうにないので引き返してここ食べることにするか、と私は決断した。案の定、須田君は「えーっ」と言い出した。大坪君も1500円はちょっとつらいらしい。私もつらいが、背に腹は代えられないどころか、今にもくっつきそうである。
- 坂を下り明神池のそばへ戻ると駐輪する。まだ嫌そうにしている須田君を後ろに、私は中へ入っていった。奥に少しテーブルがあったが2階も食堂のようなので階段を上がる。
- 階段を上がると、なんと2階は内装も新しい綺麗な座敷であった。窓際の席に陣取る。予想外の綺麗さに須田君は口をつぐみおとなしくなった。
- メニューを広げると明神定食の他にもいろいろとある。私たちは1200円の磯定食というのを頼んだ。さざえ飯につくりなどがついた豪勢な定食だ。今回は宿が安い国民宿舎ばかりだったので晩御飯はあまり期待できない。それを考えるとこの昼食は今回もっとも贅沢な食事になるかも知れない。
- ■笠池と風穴
- 磯定食はおいしかった。須田君もとりあえず満足したようだ。大坪君は飲めなかったのが残念そうだが、食事には満足したらしい。
- 食事が終わると明神池のそばで一服した後、笠山へ向かって出発した。池の奥に風穴があって名所らしいが、後で時間があれば寄ることにして、先に山頂を目指す。
- 萩観光ホテルの前を通り、登りが続く。右に食事もできる売店があった。案の定、須田君が「うわあ」と言った。せっかく満足していたのに、安く上がった可能性があったと分かるとすぐに後悔するらしい。
- 登りがきついので、須田君に構わず登り続ける。ツバキ群生林、と書いた分岐を見送り、山腹を巻いて登り続ける。
- やっと登り切った。山頂は公園のようになっており、展望台がある。その横に火口跡へ降りる階段があった。駐輪すると、大坪君はさっさと展望台を登っていった。私と須田君は火口跡へ降りる。
階段は山頂のくぼみへと降りていく。降りきった所に金網があり、その奥火口そのものらしい。もう噴火することはないと分かっていても、覗き込むのはちょっと気持ちが悪い。しかし現在は単なる崩れた断層のようにみえる。
- 今度は展望台に登った。ここは半島と言うより砂州でつながった島であり、回りには海が見える。かすみがちで遠くまでは見えないが、南に萩の町並みが見える。展望台に大坪君はいなかった。入れ違いに火口に降りたらしい。
- 大坪君を見つけると、再び萩へと向かって走り出した。下りは早い。あっと言う間に明神池まで降りてきた。風穴に寄ってみることにして、自転車を降りる。
- 明神池のそばに神社があり、風穴はその境内の奥のようだ。池のほとりに明神池の説明があった。この池は観光用に作られた池かと思ったが、笠山と本州が溶岩と砂州でつながったときに残った自然池で、溶岩の隙間で海とつながっているらしい。淡水と海水の生物が同居しているそうだ。
- 売店の前をすぎると、突然気温が下がり肌寒くなった。その奥に風穴がった。火山岩の隙間の穴から風が吹き出しているのだ。その風は真夏でも摂氏13度にしかならないそうだ。前に立つと寒い。
- 売店のものらしいテーブルと椅子が近くにおいてある。夏には絶好の避暑になるだろう。
- ■吉田松陰と伊藤博文
- 笠山を離れ、また萩市街へと戻り始めた。途中で山陰線の踏切を越えて南へ向かう。目的地は松陰神社だ。
- すぐに松陰神社に着いた。前が駐車場でさすがに観光バスが何台もとまっている。昨日の津和野もさっきの笠山もそんなに観光客はいなかった。初めて大量の観光客に遭遇することになる。木の下にマウンテンバイクを3台まとめて駐輪すると散策を開始した。
- すぐ左手に吉田松陰歴史館がある。吉田松陰の一生を展示した蝋人形館である。入場料は550円で、やはり須田君が高いとゴネた。まあ、あとでも良いだろうと先に松下村塾を見に行く。
松下村塾には思った通り観光バスの団体がいた。とても近づくことができない。しばらく待つとガイドさんに連れられて去っていったので、やっと見ることが出来た。
- 幕末・維新の有名人が多く学んだ所なのだが、私の予想よりはるかに小さかった。一番広い部屋で8畳である。私は大阪の淀屋橋にある敵塾のような規模を想像していた。しかもここで教えていたのは3年もないのだ。
- その奥には吉田松陰が萩に謹慎させられていたときの旧居があった。松陰が閉じこめられていたのはわずか3畳の小さな部屋だ。ここで慕ってくる人たちに教え始めたのが松下村塾の始まりだという。
- 一応、お参りをしてから戻る。大坪君とはぐれてしまったので、入り口にある土産物屋で抹茶ソフトをなめながら待った。やがて、吉田松陰歴史館の前で説明を眺めている大坪君が見つかった。時間もなくなってきたので、歴史館には入らないことにした。
次は伊藤博文旧宅だ。松陰神社からはすぐの所にある伊藤博文が少年時代を過ごした家だ。無料で見学自由。しかしやはり手入れは行き届いていない。とりあえずひととり眺めると出発した。
- ■藍場川のほとりにて
- 観光案内書でもらった地図で調べ、桂太郎旧宅へ行くことにした。
- 松陰神社の前を西へ下り、松本川を越えたところで川に沿って左へ曲がる。川沿いの快適な道を南へ走る。案内板に従って右へ曲がると駐車場があった。その手前を左へ入ると藍場川沿いの道になる。すぐに川を挟んで旧湯川家住宅というのがあった。入り口の前には小さい橋が架かっている。そこには自転車を止められる場所がないので、さっきの駐車場へ引き返して駐輪した。
- 駐車場はちょうど旧湯川家住宅の裏にあり、裏口から直接入ることが出来る。私は湯川家というのが何かは知らなかった。しかし知らなくても当然。藩政時代からあり、藍場川の水の利用法を特によく残している住宅として、持ち主から萩市に寄付された住宅なのである。見学出来るように修理・改修を行い、最近公開されるようになったもののようだ。
- 裏口から入ると庭園であった。藍場川から引き込んだ水が庭を流れ、小さいながらも美しい庭園だ。
- 母屋の左に離れ屋があり、そこに風呂場がある。風呂場の壁際の床は穴があり、藍場川の水面が見えている。藍場川の水を風呂に利用していたのだ。
- 母屋はまだ上がって見学は出来ないが、台所が見学できた。さっきの庭園を流れた水は母屋の下へ入り、台所の床を流れている。風呂場と同様に、台所仕事にこの水が使えるのだ。段で水際に降りられるようになっている。この段をハトバと言うそうだ。
- この旧湯川家住宅は大変興味深い建物だった。表の門から橋を渡って前の道へ出た。この住宅の価値を知ってから改めて眺めると、この藍場川の風景は大変美しかった。
駐車場へ引き返し再び自転車を引っぱり出すと、藍場川にそって走り出した。藍場川は水の利用のために掘られた人工の川である。幅は広くても2mはない。その川沿いに道が続いており、川に面した家々にはみんなハトバがもうけられている。
- すぐに桂太郎旧宅があった。桂太郎は3度も総理大臣になった人物である。しかし高校では世界史を勉強していたという須田君は桂太郎を知らなかった。
- 自転車を止めて見学しようと橋を渡ると、玄関に表札がかかっているのに気が付いた。えっ、と思って私は立ち止まった。門の外から中をうかがうと今も住んでいる雰囲気がする。つまりこの家は現在も住宅として現役なのだ。
- あわてて橋を戻って道から眺めた。横に案内板があるのでここに間違いない。現在も人が住んでいるということに、私は明治から現代への歴史の連続性にいきなり気が付いた。考えれば当然のことだった。
- ■城下町
- 藍場川に沿ってさらに走り続ける。
- 水は住宅地の中を何度も曲がりなが流れていく。だんだんと現代風の普通の住宅が増えてきて、最初の雰囲気は薄れてきた。
- 民俗博物館と郷土資料館へ行こうということになり、藍場川を途中で離れ、国道沿いにあるそっちへ回ってみた。しかしどちらも休館日でしまっていた。仕方がないので城下町へ行ってみることにした。民俗博物館からは美術館の前を通って橋を渡ればすぐである。
- 萩城下町と呼ばれているのは、木戸孝允旧宅や高杉晋作生誕の地などが集まっている、昔の町並みがよく残されている一帯を言う。
- ちょっとぐるっと走ってから高杉晋作生誕地へ行ってみた。ここには観光客が結構集まっている。入り口の横ではおじさんが土産やジュースを売っていた。
- そこのしぼりたての夏みかんジュースを買ってみた。添加物なしの100%夏みかんだそうである。テレビで紹介されたこともあると、売り手のおじさんは自信たっぷりでお客に勧めている。確かにそのジュースはおいしかった。
さて、高杉晋作が生まれたという家に入ってみる。この家は晋作の父親の家だった。家の2面を庭から見ることが出来る。縁側に面した座敷にガラスのショーケースがあり、高杉晋作にまつわる資料なんかが展示してあった。指名手配の似顔絵も展示してあった。西郷隆盛は分かるが高杉晋作は写真とは全然似ていなかった。
出ると今度は木戸孝允旧宅へ行った。しかし大屋根をかぶして大改修の真っ最中で見学はできなった。まだ大工さんが働いている。前だけを通り過ぎた。
- もう一つ、菊屋家住宅というのがあった。菊屋は藩の御用商人だったそうだ。そのため、この屋敷は立派な作りで庭園も美しく、また民具、美術品も往年のまま展示されているという。私は入りたかったが、入場料500円にやはり須田君がぐずりだした。仕方がないので今晩考えて、入るなら翌朝に訪れることにする。
- 時間もそろそろ良い時間である。今晩の宿に向かうことにした。菊屋の前の道を西へ進み、左右に分かれる道を左へ入った。
- 左手に学校があり、右手には立派な土塀が続いている。問田益田氏旧宅の土塀だ。向かいの学校は萩高校で、明治時代に建てられたという校舎が人気があるらしい。しかし学校と言うことで入りにくい。この校舎のことは須田君にも大坪君にも黙っていたので、2人は最後まで知らなかったかも知れない。
- 次に右に立派な門が現れた。旧福原家萩屋敷門だそうである。
- 道が突き当たったので右へ曲がる。次の角を左へ曲がると道と川の向こうに今日の宿泊先、国民宿舎「城苑」があった。
- ■国民宿舎「城苑」
- 信号を渡り橋を越えると入っていく。玄関の前を通り過ぎて駐輪場がないかと探していると、宿舎の方が出てきて、止める場所を教えてくれた。
- 中に入るとチェックインをする。ロビーが吹き抜けのちょっとおしゃれな作りの国民宿舎だ。外観に比べて内装は新しい。私たちの部屋は3階のかどにあり、2方がベランダで萩城跡が見えるなかなかの部屋だった。下を見下ろすと私たちの自転車が見えた。
- さっそく階下の風呂へ。風呂もなかなか広かった。湯船の向こうの壁に萩の観光地図が書いてある。今日のルートを確認したり、明日の散策を湯船に浸かりながら考えることが出来た。
- 風呂を出ると食事である。ロビーから階段で少し上がったところにレストランがあり、そこでいただく。レストランは川に面している。たそがれに包まれかかった城下町が見えていた。食事もよく、この宿舎は今回1番の当たりだったようだ。
- 宿へ戻って休憩すると、夜の萩を徘徊に出かけることになった。言うまでもなくアルコールとおつまみを仕入れるためである。
- 町の中心部は東萩駅の方だろうと思えるので東へ向かって歩く。北よりの広い道を行く。東萩は随分向こうのように私には思えた。しかし須田君は地図で見ても小さい町だったから10分もかからないはずだという。本当は東萩駅前の地ビールが忘れられなかったのだろう。
- しかし歩けども歩けども周りは暗く、普通の民家ばかりである。途中で大きなホテルが3軒ほど合ったが、あまり客は入っているようでもなく、ロビーに人はまばら。道を歩いている人もいなかった。
- 延々と歩いたあと、初めて車の通る大通りにでた。といっても2車線である。もう東萩はあきらめ、この道沿いに店を探すことになった。やはり須田君の距離感はあてにならない。彼は距離感だけでなく、下りも記憶に残らない性格である。
- コンビニがあったのでそこでおつまみだけを買う。ビールは宿の自動販売機で買うことにした。私と須田君はアイスクリームも仕入れた。
- ハーゲンダッツの棒付きチョコナッツのアイスクリームを食べながら宿へと帰る。行きとは別の道だ。裏通りでもないのだが、普通の民家の中の道で街灯も少なくて暗い。しかし道の脇には、常念寺表門とか旧益田家物見櫓、旧周布家長屋門などがあった。益田家は永代家老職で、この屋敷は城の門のそばにあったため、櫓を兼ねていたのだそうだ。ということはここから萩城跡までは城の中であったわけだ。現在は民家が並んでいる。
- 宿へ帰り着くとビールやチューハイを買い求め部屋へ戻った。それぞれチビチビゴクゴクやりながらのんびりと夜を楽しむ。しかし天気予報が翌日は昼まで雨だと予告していた。
- ★★★ 第3日目 歴史の町から大自然のまっただ中へ ★★★